和光会の前身について

日本のナイチンゲールと言われた瓜生岩子は明治時代の初め、福島に生まれました。会津の戊辰戦争では、敵味方なく傷病兵の看護にあたりました。その後も医療、福祉に生涯をささげました。その偉大な功績から、女性では初めて紫綬褒章を受けました。和光会は岩子岩子が発足した財団法人「四恩瓜生会(しおんうりゅうかい)」の流れを汲んでいます。
和光会の歩み
- 1899年 6月
- 土方富子・大山捨松婦人・樺山登茂子・三島和歌子らと共に「瓜生会」を結成
- 1899年 10月
- 「四恩瓜生会」と改称
- 1901年 4月 19日
- 浅草の浅草寺に銅像建立
- 1908年
- 小石川坂下町に就学児童のための「瓜生会館」を建立し、夜学校を設ける
- 1909年
- 週二回の診療所を設ける
- 1917年
- 財団法人「四恩瓜生会」東京支部を小石川大塚坂下町におく
- 1924年
- 関東大震災で「瓜生会館」を夫人宿泊所とし、乳幼児のための「慈母の家」授産所を設け教授にあたる
- 1934年
- 「瓜生会館」を大改造。病院組織として「瓜生病院」とする
- 1945年 4月 14日
- 大空襲で灰燼と帰す
- 1954年
- 三輪輪太郎が「四恩瓜生会」を継ぎ、「阿佐佐保育園」を開設
- 1959年
- 財団法人「四恩瓜生会」から社会福祉法人「和光会」となる
- 2006年 4月
- 杉並区立「荻窪北保育園」を指定管理事業として運営
- 2014年 7月
- 「喜多見野の花保育園」を開設(世田谷区)
- 2022年 4月
- 杉並区立「荻窪北保育園」の指定管理事業から民営化し、社会福祉法人和光会「荻窪北保育園」として運営

創設者三輪政太郎

開園当時の阿佐谷保育園
